はじめて若者の読書離れという言葉が使われたのは、20歳の大学生を対象とした読書調査の結果を取り上げた1977年東京新聞の記事だと言われている。
それから42年の時が流れ、その時20歳だった若者は定年を迎えている。その間、若者の読書離れは続き、今では現役世代全ての人が読書離れ世代ということになる。
本が売れなくなるわけだよな。
僕は今、大阪市阿倍野区にあるリーディングスタイルあべの店を拠点として働いている。夏休みに入ってから、地域の子供たちに本屋に親しんでもらいたいということで、併設しているカフェで子供たちを対象とした宿題部を開催している。僕の担当は読書感想文の書き方講座だ。
原稿を書いている今日も、小学5年生の男の子と女の子の二人が来てくれた。小学5年の二人が読み終えて持ってきた本を見て、驚いた。男の子が選んだ本は、仁木英之の『真田を云て、毛利を云わず』。女の子が選んだ本は、安東みきえ『天のシーソー』だった。
なぜこの本を選んだのか、いつもどのようにして本を探しているのか。いつもの癖で、読書感想文の書き方講座以上に、二人の読書体験について熱心に聞いてしまった。二人に共通していたのは、親御さんが読書好きだということだった。
特に、女の子と母親と本との関係が素敵すぎた。本を読みなさいと言われたことは一度もないという。何かあった時、何も言わずに本を買ってきてくれるのだという。『天のシーソー』は、妹と大喧嘩し、数日口を利かなかった時、母親が買ってきてくれた本だったそうだ。
お母さん、すごいね!と、思わず彼女に言ってしまった。
『真田を云て、毛利を云わず』を選んだ男の子は、毛利が好きなのだという。とくに毛利勝永が。歴史好きの父親の影響らしいが、まさか小学5年生と家康の前に最後まで立ちはだかった漢の話で盛り上がるとは思わなかった。父親の夏休み、一緒に読み終えた本の舞台となった史跡を巡るため、宿題を早めに終わらせたいのだと話してくれた。
若者は、読書から離れているのだろうか。
本当に本は読まれていないのだろうか。
本が売れないことと、本が読まれないことは違うのではないだろうか。
数年間、学校で読書について学ぶ時間という授業をしていたことがある。その時、本を読まないという子供たちに、なぜ本を読まないのか、聞いたアンケートで一番多かった答えは、「読書の必要性を教わらなかった」というものだった。
必要性を伝えることも大切だが、二人の親御さんのように、子供とのコミュニケーションの中に、当たり前に本があることが大事なのかもしれない、と考えさせられた一日だった。
8月、二人がどんな読書感想文を持ってきてくれるか待ち遠しい。
- ろうそくの灯に -
若者の読書離れ
#田口幹人
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田口幹人 氏 --
197 3年、岩手県西和賀町(IE· 湯田町)の本屋の息子として生まれる。
幼少時代から店頭に立ち、読みたい本を読み、小学生の頃にはレジ打ちや配達などもしていた。
古本屋に入り浸る学生時代の後、盛岡の第一書店に就職。
5年半の勤務を経て、実家のまりや害店を継ぐ。
7年間の苦闘の末、店を閉じ、さわや書店に再就職、2019年3月さわや書店を退社。
現在、出版流通会社に勤務。