- 湯浅の眼 -

「ストック」と「フロー」

 「理想と現実」の間で揺れ動くのが人間だとすれば、出版業界もまたその間で揺れ動いている。それは結局「理想でメシが食えるか」というありきたりの問いに帰着するわけだが、「出版」なる行為の中で、称揚されやすい行為がそもそも「理想」に振れている以上、とりわけこの問いは忌避される傾向にある。
 例えば、インターネットの一般化以降、知識の「ストック」はその意味を減じ、「フロー」の中での「ふるまい」が重要となってきている。少しく目を転じてみれば、資格試験というものの、いわゆる「難しい試験」とされている司法試験や公認会計士試験というのは、知識の「フロー」を問う試験である。すなわち、「ストック」である六法全書や監査基準を丸暗記するのではなく、「とある事象」に対して、「ストック」から適切な「法令」を引き出せるか、という「フロー」を問う試験である。よって非常に「難しい」。なぜなら慣れていないからであり、「フロー」とはよく見えないものだからである。

 「本」というものは、それが紙の束である以上、「ストック」、すなわち時間的に「切断されたもの」である。ネットによって、それよりも「フロー」が求められるようになり、サブスクリプションやストリーミングといった「時間」が基軸にあるサービスへと移行しつつある。「電子書籍」なるものは、ウェブという「フロー」にありつつも、ある塊を持った「ストック」の体裁をとっており、いわば「過渡期のもの」ということができる。

 「時間に流されないこと」が重要な局面はいくつもあるし、その場面が来た時には「書店」は新たな価値づけの下に再評価されることになるだろう。だが、今の場面においてはこの「局面がくるまでどうするか」が肝心であり、そのためには「フロー」をしっかりととらえることが大切である。それをより会計的場面で言えば、「損益計算書」や「貸借対照表」よりも「キャッシュ・フロー計算書」を重視するということと言えよう。
 言い換えれば、「昨対主義」から目を転じて、「キャッシュ」が回っているかどうか、回し続けるのは何が必要か、その点に着目した経営を行わない限り、常に撤退戦を余儀なくされ、ホームラン狙いの仕入と、人件費に代表されるコストカット一辺倒の施策に頼ることになる。その施策の行きつく先に「明るい展望」はない。