- 湯浅の眼 -

新規店を言祝ぐ

年初早々に丸善ジュンク堂書店の2店舗閉店が発表され、SNSなどでも話題となった。閉店を惜しむ声があるのは当然の反応ではあろうが、「小売店舗のあり方」が変わってきていることを理解・周知していくことが必要であろう。

 たとえば、定期借家契約となっていればその期限になれば退去することになるわけである。もちろん、売上減が主たる要因となっているのは当然のことではあるが、それだけではないことにも注意しておく必要がある。書店は積極的に「移転」するには什器等の設備が重いがゆえに、「長尻」になる傾向があるが、町は日々変化する以上、「立地」もまた変化する。よって、機動的にならなければならない。

 また、小売業の中で生産期が古いものを陳列している書店―そして扱っているものは「感情を揺さぶるもの」が多い―には、それにつれてノスタルジアが生まれることであろう。しかし行っているのは「商業」でしかなく、あくまでその中での算段でどうするかは判断されなければならない。

 丸善ジュンク堂書店規模の店舗であると、閉店に伴う返品を危惧する出版社は多いだろう。特に専門書出版社はその規模も大きくはないところが多いがゆえに、閉店→返品のサイクルは資金繰りを圧迫する。

 この点を危惧することは重要であるが、これも逆から考えてみると、その書籍、出版社は「経営の面において」不要とされた、ということになる。あくまで「経営の面において」であって、その本そのものが不要である、ということではない。出版業界について議論する際に重要なことは、この「経営」と「本実体」を区別することだろう。むしろこの区分ができないからこそ、20年以上にわたっての売上減に対する制度的な変革ができずに来たのだともいえる。

 「去る者日々に疎し」のことわざからもわかるように、「タッチポイント」である書店が減ることは、本への関心を減じていくことになる。よって、「タッチポイント」を新しい形で作っていく必要がある。

 掛川からの挑戦となる、高木久直氏の「高久書店」は1つの形になるかもしれず、あるいは、吉祥寺のブックマンションなど、既存の出版流通、既存の「書店」の形はとらないところから生まれてくるのかもしれない。もちろん、他の形もあるだろう。どのような形であれ、閉店を惜しむよりも開店を言祝ぐこと。開店されたところができるだけ商いになるような協力をしていくこと。今後、求められることはそのような行為ではないだろうか。