- 湯浅の眼 -

新型コロナウイルスと出版業界

新型コロナウイルスの影響が日々大きくなり、世界的には比較的抑えているとされている日本においても、従業員の発症による商業施設の一時閉鎖のニュースは散見されるようになった。また、営業時間の短縮も多く行われるようになっている。

 ワクチンを中心とした治療法が確立されない限り、このウイルスに対する「恐怖」は消えるものではなく、開発にどれくらいの時間がかかるのかまったくわからない。東日本大震災と原発事故のときと異なるのは、「被災地」が日本全国であるという点であろう(発症者を出していない県もあるが)。

 今後、「ウイルス対策本」が、諸説入り乱れて多数出版されることになろう(すでに空気清浄機の方面では出てきている)。一種の医療、健康本のジャンルになるわけだが、ここに「出版の自由」に基づいた多様な出版をどこまで許容できるだろうか。先般のインターネット上の医療情報問題があったが、書籍の「価値」もまた、いわゆる「トンデモ医療本」によって減じられていることは、出版業界として注意しなければならないことである。

 とはいえ、確かに「出版の自由」を制約するような行為は、「検閲」となろう。ここに「ヘイト本」のときと近しい出版行為と出版流通のジレンマが立ち現れる。

 出版行為が経済行為の一種である以上、そのような「トンデモ医療本」の刊行を事前に止めることはできないだろう(し、ある種の「信念」に基づいているだろうから、それ自体を否定することはできない)。だが、そのような出版物は、他の出版物に対して悪影響をもたらし、お客様と最終的に接する場である「書店」の「空気」を悪化させる。よって「書店」がその「空気の入れ替え」についての判断を迫られることになり、今まで以上に書店への「負担」を増す結果となる。

 このような想像できる状況において、どのような対処法があるだろうか。それには、そのような出版行為は、医療行為そのものではないにしても、刑事医療裁判上使用される「独善的な心理」(「周囲の指摘や警告、院内のルール、当時の一般的な治療法等を無視し、あえて医学的な知見の裏付けのない行為に及ぼうとする心理」)であるかどうかを裁判によって検討することを繰り返す必要があるのではないか。この方法のみがSNS上で行われやすい情緒的な「私刑」を回避し、かつ、「出版の自由」を制限する唯一の道だと思われる。