「本屋って何だろう?」という問いに対する僕の考え方とそこに行きつくまでの考察は、拙著『もういちど、本屋へようこそ』(PHP研究所)の第5章に記してあるので、詳しくはそちらをお読みいただけたらと思う。
一言で本屋と言っても、多くの人の日常的なニーズに応える総合書店、それぞれの地域のニーズに応える品揃えとサ―ビスを重視した街の本屋、様々な販促やイベントを開催するなど書店を出合いの場として発信する書店、独自の編集方針でファンを獲得する独立系書店、ブックカフェ、ネット書店等々、本屋の形は様々だ。
僕は、『もういちど、本屋へようこそ』で、本屋を以下のように広げた解釈で記している。
以下『もういちど、本屋へようこそ』P235
店を構える本屋だけが本屋なのではなく、本の周りにいる一人ひとりを、本に関わる全ての人を「本屋」なのだと仮定した場合、まだまだやれることがたくさんあるのだと思っています。本の未来の数だけ、本屋の未来があるのだと。
「これまでの本屋」も「これからの本屋」もまた本屋です。何年後を見据えるか、何を目指すのかによって違うかもしれませんが、本に寄り添い続けようという想いをもった本屋がこれからも生まれ続けるでしょう。
書店で勤務しながら、このような考えに辿り着いたのは、街の中に書店員と同じくらい本を介したコミュニティを創り出そうとしている人たちとの出会いがあったからだった。それは、街と本が人を繋ぐという、職業書店員を続けているうちに薄れつつあった感覚をよみがえらせてくれた数々の出会いだった。
「本は何か壁にぶつかったとき、何かにつまづいたときや、誰にも打ち明けられないことを打ち明けられるものだと思っていて、そのために本を読むのだ。すごくハッピーなときには本は読まない。恋愛していてそれでいっぱいなときには、本を読む必要がない。ただ、行き止まり、行き詰まり、八方塞がりのときに本を開く。本は別世界の扉だと思っていて、こんなに扉がたくさんある空間ってほかにないわけですよね。無数の扉に囲まれて全部それが別世界に繋がっているという場所が本屋なのだ。だからこそこの地で本屋をはじめた。本屋は、可能性に満ちていると思う」という柳美里さんの言葉が胸に残っている。
僕の「本屋」とはなんだろう、という問いに対する自分なりの明確な答えが定まった。さてと、いよいよ動き出そうかな。
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田口幹人 氏 --
197 3年、岩手県西和賀町(IE· 湯田町)の本屋の息子として生まれる。
幼少時代から店頭に立ち、読みたい本を読み、小学生の頃にはレジ打ちや配達などもしていた。
古本屋に入り浸る学生時代の後、盛岡の第一書店に就職。
5年半の勤務を経て、実家のまりや害店を継ぐ。
7年間の苦闘の末、店を閉じ、さわや書店に再就職、2019年3月さわや書店を退社。
現在、出版流通会社に勤務。